周辺の歴史
豊橋は昔、軍都として栄えた歴史がございます。
太平洋戦争の決定的な敗北は、サイパン陥落であると言われています。
「なぜ…?」
B29がサイパンの基地から飛び立ち、日本を焦土としたからです。
しかしそれが豊橋とどう関係があるのか、わかりませんでした。
周辺の歴史として、豊橋第18連隊のお話しをしたいと思います。
名古屋鎮台 第3師団 第18連隊として、明治に創設されました。(※鎮台:旧日本陸軍の最高編成単位でオランダ陸軍より導入、以後統率面が不安視され明治18年に師団制に変更された。)
私たちが日露戦争を扱った「坂の上の雲」で知っている、秋山好古(阿部寛 役)も第2軍に入っています。
また満州では、秋山騎兵団と同じ地域で戦っていました。
そのため豊橋新吉町に、秋山好古による揮毫の石碑が建てられています。
そして第18連隊が豊橋に来ることとなった理由としては、広大な演習地があり、その演習地の地形がちょうど外地の地形に似ていたことによって、決まったのだそうです。
場所が決まり、師団の増設がされ、まずは第15師団となります。(※現在の愛知大学に司令部がありました。)
…が、その後ワシントン条約により軍縮。第15師団は解体、第3師団付き第18連隊となるのです。
太平洋戦争中、師団再編により京都で第15師団は復活するのですが、戦史上でも有名な無謀な作戦と言われた「インパール作戦」に従軍し多数の戦死者を出すのです。
歩兵第18連隊の石碑 | 司令部庁舎 現・愛知大学 大学記念館 |
司令部庁舎 現・愛知大学 大学記念館 |
司令部庁舎の説明看板 |
そしてその第18連隊は、歴史に翻弄されることになります。
松岡洋右(日本の外交官)が当時の情勢に苦慮している時、陸軍の熱河作戦によって結果、日本は1933年ジュネーブにて国際連盟を脱退するのです。(NHKオンデマンド「昭和の選択」第一回)
その熱河作戦に18連隊は参加することになるのですが、そこで日本の将来を自分たちが壊しているとは思わなかったでしょう。
その後、上海上陸作戦で、第18連隊は多くの戦死者を出したようです。
「連続テレビ小説 純情きらり」の中で、ヒロイン松井妙子(宮崎あおい)の夫が第18連隊に入隊し、トラウマとなって帰ってくるのですが、調べてみると第18連隊は本当に激戦つづきで第一次長沙作戦~第二次長沙作戦まで本当に苦しかったようです。
その後、18連隊は第3師団から離れ、松本第50連隊と奈良第38連隊とで関東軍 第29師団を作ることになります。
「連続テレビ小説 おひさま」ではヒロイン丸山陽子(井上真央)の夫の勤務隊となっております。
それから18連隊はサイパン防衛の為にサイパン・グアムへ行くのですが、18連隊はこの地において玉砕することとなるのです。
その時もサイパン上陸前に支援隊1万人は戦死、かろうじて18連隊のみサイパンに上陸する状況でした。
この豊橋第18連隊は「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」という映画にもなっております。(サイパン島にて47人の兵で45000人の米兵と激戦を繰り広げた人物を書いたドン・ジョーンズの長編実録小説をもとに映画化)
その映画の主人公となった大場栄(竹内豊)は太平洋戦争中サイパンでゲリラ戦を指揮した人ですが、もともとは学校の地理の教諭をしていて、戦う際にもサイパンの詳細な地図を作り、ゲリラ戦を行ったとの事です。
米兵らは畏敬の念をこめて彼を「フォックス」と呼びました。
アメリカ軍はあまりの恐ろしさに精神を病んだ者も出たそうです。
またポツダム宣言が受諾され、8月15日の終戦・武装解除時に、彼はサイパン線で戦死したと判断されており(のち生存が確認され取り消しされます)、しばらく終戦の事実を知らずに遊撃戦を展開しておりました。
やがて上官の命に従い、大場隊47人は戦死者に慰銃を捧げて慰霊をし、隊列を組んで日章旗を掲げ、軍歌を歌いながら正々堂々と投降したそうです。(12月1日投降)
このように豊橋第18連隊は、本当に激動の時代を生き抜いて来たのです。
日本の今後も私たちの歴史から見つめるのもどうでしょうか?
第18連隊営門跡。現在は豊橋公園の正門となっております。 |
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